結婚の決め手は「優しいひとだから」と、世の女性の大半はおっしゃっています。果たして優しいひとというだけで結婚して後悔している女性はどれくらいいるのでしょう。釣った魚に餌をやらない、といった言葉もあります。
思いやりがない と優しいということにスポットを当ててみます。
思いやりがないと気づくとき、優しさは思いやりではなかった
優しいと感じる時
異性に好かれようとするとき、自分を好きになってほしいと、プレゼントをしたり気持ちのいい言葉がけをしたりとアプローチをします。されたほうは嬉しい気持ちになります。
そうした努力が実り、カップルが成立し、しばらくは互いに気を遣い合うことになるでしょう。嫌われたくないですし、いい人のイメージを崩すわけにはなりません。さらに自信のない自分を悟られたくなくて、優しさでごまかすということもあることでしょう。
思いやりがないとはどんなひと
自分のことばかり優先し、損得勘定が働き、人の話は聞かず、それでいて人の目を気にしている、相手を攻撃し、自分を正当化するといった人に思いやりがあるとは思えません。
子どもの頃から親にきちんと愛情をもらえなかった人もいます。もともと人として生まれたということは人を大切にするということが備わっているのです。
しかしながら親のなんらかの事情で、親に冷たく扱われるなどという歴史があるのなら、子どもが周りの笑顔をみたくてにっこりしても、ツンと冷たくされれば思いやりは育ちません。
優しいと思いやりがあるは同じ?
優しいとは、あったかい響きがあります。しかしながら自分に対して優しいとなると、自分に甘いといった意味にも取れます。
自分に対して思いやるとなると、身体を大切にしているイメージが少しだけ強くなるようにも思います。国語辞典(小学館)には「優しい=思いやりがある」とありますが。微妙にずれがあるように感じます。
他者と自分への思いやり
思いやりがあるとは、相手の幸せを考えられるということです。相手のことが考えられるということは自分の心に余裕があります。周りの状況を理解し、聞き上手な心の準備ができていれば思いやりも生まれるでしょう。
自分のことも大切にするということは、やらなければならない身の回りのことや、生活のリズムがきちんと行うことです。そうすることが自信になり、余裕にもなります。まず、自分を大切にすることが本当の自分への思いやりです。
家族間での思いやり
結婚し、家庭を造っていく時、この思いやりを織り込んでいくことが大切です。時には思いやりが薄まってしまうかもしれません。忍耐力がいります。
結婚する時に家訓を設けることで思いやりを維持できるかもしれません。生活の中で相手への依存が生まれてしまうこともあります。
そうした依存が当たり前になって感謝の気持ちもなくなってしまったとき、トラブルが起きると「誰が食わせてやってるんだよ」的な言葉が出てきます。
売り言葉に買い言葉で「いつも家でゴロゴロするだけでしょ」などと応酬し修羅場となってしまいます。そこでぐっとこらえられるといいのですけれども歯止めが利かないと、親の醜い姿が当たり前になり、子を思いやりのない人に育ててしまう可能性もあります。
思いやりのない自分とさようならするために
自分の生活を見直すこと、義務を怠っていないか、権利ばかり主張していないかを振り返ってみましょう。丁寧に、自分を大切に扱いたいものです。
そして自分の放つ言葉が人に不快な思いをさせていないかを考えてみてはどうでしょうか。時に、自分が人に放った言葉で自分が傷ついていることもあります。
思いやるとは、相手の幸せを追求することで、そこには自分も含まれるということです。自分にも真摯に向き合い、素直な気持ちで暮らせるとよいでしょう。そうして幸せな人生を送りたいものです。
まとめ
思いやりがないと気づくとき、優しさは思いやりではなかった
優しいと感じる時
思いやりがないとはどんなひと
優しいと思いやりがあるは同じ?
他者と自分への思いやり
家族間での思いやり
思いやりのない自分とさようならするために