長年夫婦として一緒に暮らしていれば腹の立つことや感情的になることは誰にでもあるものですが、夫婦喧嘩が絶えないという夫婦もいれば全く夫婦喧嘩をしたことがないという夫婦もいます。
「喧嘩するほど仲がいい」という言葉もありますが、 夫婦喧嘩 をしないからと言って夫婦円満とも限らないようです。それは一体どういうことなのでしょうか。
夫婦喧嘩をしない夫婦にこそ訪れる離婚の危機とは?
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言うけれど
夫婦は些細なことで喧嘩をしてもすぐに仲直りするものだから他人が仲裁に入るものではないという意味で「夫婦喧嘩は犬も食わない」ということわざがあります。
普段から思ったことを口に出して伝えている夫婦は意見が食い違えば口論になることもありますが、それが日常茶飯事であれば仲直りの方法もお互いにわかっているものです。
「しばらく距離をおいてほとぼりをさませば仲直りできる」、「ケーキを買って帰れば機嫌がよくなる」、「素直に謝れば大丈夫」などなど、その夫婦にしかわからない仲直りのタイミングがあるのです。
そしてそういう夫婦はしょっちゅう喧嘩をしていても「離婚」に至るということはないものです。むしろ普段夫婦喧嘩をしないという夫婦が珍しく喧嘩をしたときに仲直りができないということもあるようです。
夫婦喧嘩をしない夫婦が理想的?
お互いが罵り合ってものを投げつけるような夫婦喧嘩もあれば、お互いに口をきかず無視しあうような夫婦喧嘩もあります。そして喧嘩には原因となるものがあるはずです。
「夫婦喧嘩はしたことがない」という人になぜ喧嘩をしないのか聞くと、「生活をしていて相手に対してムッとすることや不愉快になることはあるけれど、それをそのタイミングではぶつけないようにしている」という答えが返ってきました。
意見が食い違ったときは喧嘩をするのではなく「話し合い」をするのだそうです。お互いに相手を尊重する気持ちがあれば罵り合ったり無視をするような喧嘩には発展しないそうです。
確かにそういう夫婦のあり方は理想的だといえるのではないでしょうか。しかしその一方では「喧嘩をしない=相手を尊重している」というわけではないという夫婦もいます。
「愛情」の反対語は「無関心」?
夫婦喧嘩の原因はいろいろあります。相手に対して「こうしてほしい」、「こうしてほしくない」という要求が通らなかったときや「帰宅時間が遅い」、「連絡がとれない」など心配をしたときに腹が立ってそれを相手にぶつけてしまいがちです。
また浮気を疑ったり嫉妬心から喧嘩になるという話もよく耳にします。しかしそういう感情は相手に対して関心があるからこそ湧き上がるものです。相手に対して関心がなければ期待することもないし腹が立つこともないのです。
マザーテレサが「愛情」の反対語は「憎悪」でも「嫌悪」でもなく「無関心」だと言ったそうです。その言葉にあてはめると「お互いに無関心な夫婦には愛情がない」ということになってしまいます。夫婦であるのに無関心だというのはどういうことなのでしょうか。
「個」を大事にする家庭が増えていることが原因?
日本は平成になってからますます核家族が多くなり生活スタイルも変化してきました。結婚しない若者も増えています。もちろんその理由はさまざまですが「自由に暮らしたい」、「他人と暮らすのは面倒」という理由が常にランキングの上位にあります。
相手に縛られたくないという気持ちが強いのです。また最近の傾向として会話によるコミュニケーション能力が低下しているということもあるようです。
実際に文部科学省のホームページにも「地域・家庭の教育力の現状・課題」として子供のコミュニケーション能力が低下していることがあげられています。
家庭内の会話が減り他人と関わることを面倒だと感じる人は増加しているのです。結婚してからも「会話が面倒くさい」、「自分の時間を大事にしたい」と思っている人が増えていて、そういう人はパートナーに対しても「無関心」なのではないでしょうか。
そしてそういう夫婦は普段は夫婦喧嘩をすることはなくても、なにかのきっかけで喧嘩になったときには修復することが難しく、そのまま離婚話にまでなってしまうということにもなりがちなのです。
まとめ
夫婦喧嘩をしない夫婦にこそ訪れる離婚の危機とは?
「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言うけれど
夫婦喧嘩をしない夫婦が理想的?
「愛情」の反対語は「無関心」?
「個」を大事にする家庭が増えていることが原因?