妥協するという言葉を聞くと、前向きな印象がありません。結婚生活を続けるために妥協しながら進んできたことが、 妥協 という言葉の本質からずれた 意味 になってしまうと、とても辛いことです。
妥協して選択していくことの意味って?
妥協とは
簡単に言うと、双方の主張が食い違っている場合に、互いの主張を幾分か譲りあって一つの結論を導き出すことです。
お互いに認め譲り合うことは、互いの理解を深める良い行動です。しかしその場合には「妥協した」という言葉ではしっくりとこないのです。
「妥協した」とはもう少し乱暴な、基本的に認めたくない気に入らないことを、仕方ないから表向きは了承したけれど、実は嫌々我慢することにした。そういう雰囲気が感じられる言葉です。
妥協していると感じるのは
友人や同僚とは違い、共に生活するパートナーだからこそおざなりにできず、話し合い歩み寄り譲り合っていきます。当初はそれを「妥協した」とは感じなかったはずのことが、いつからか変化していきます。
どちらか一方の主張が圧倒的に多く取り入れられている場合、もう一方はその分我慢をしていることが増えるわけです。
お互いに譲り合い、尊重しあっていた頃には、そのような一方的な解決方法にはならなかったことが、そうではなくなったと感じるとき、「妥協」という言葉とため息が出てくるのです。
その生活を続けていくということ
結婚生活を維持するために、このままではいけないと抵抗しようとします。ささいなことでも負けずに主張をしてみます。それは昔のように、自分の主張を尊重してくれるパートナーの姿を見たいからでもあるからです。
「そんなに言うならそうしようか。」とパートナーが、少し自分の我が強かったかな?我慢していたのかな?そんなふうに気持ちを推し量ってくれれば良いのですが、そうではないことが多いのが現実です。
主張が大半認められてきたパートナーは、珍しくしつこく反論してくる一方に対して反抗的だと感じます。しかし、「妥協」の実績を増やしたくない一方は反論をやめません。
どこかで終結しなければいけないので、何らかの方法でその場は収めることになります。そういう事を繰り返すうちに、議論すること自体をやめるかもしれません。「好きにすれば。」と言いながら自分ばかりが我慢している気持ちになっていくのです。
離婚という選択肢も そこにもまた「妥協」が
いい意味での「妥協」をし、結婚生活をスタートさせた二人、いい意味での「妥協」を繰り返し、結婚生活をより良いものになるように構築していった二人ですが、次第に我慢・不満に変わっていきます。
「もうパートナーには何も期待していないから。」「もう仕方ないかなと思っている。」よく耳にする言葉ですが、これが「妥協」という言葉を悪い意味で捉えてしまう要因になっています。
「妥協」=「あきらめ」 離婚を踏みとどまる夫婦の一方から、双方から発せられたのを聞いたことはないでしょうか。
「妥協」して結婚生活を続けるのには背景にいろいろな理由があります。それが他者には理解されない理由だとしても、当人にとっては正当な理由です。自分の選択を、正当化するために必要な理由付けである場合もあります。
離婚を選択した場合も同様に、「妥協」します。一方が離婚に応じたくない場合も、離婚協議で折り合いがつかない場合も、「妥協」することでできるだけ早く、なるだけ円満に進むことを望むからです。
「妥協」してきたことを後悔し続けないように
どの時点でも「妥協」します。そして、折に触れてあの時に「妥協」しなければ良かったのでは。と考えることもあります。
それは自身が辛いとき、苦しいときです。そういう経験から「妥協」という言葉は嫌だけど我慢して主張を引っ込めるという意味を強く含ませた言葉になっていきます。
生きていくうえには、たくさんの選択を繰り返す必要があります。人に相談したとしても、最後には自身で選択したこと、そこには「妥協」もあったでしょう。
自身がその選択に納得し、穏やかな生活を送っている時にはいい意味での「妥協」だったので辛くも苦しくもなかったはずです。
これからも、些細な選択や生活に影響する大きなことまで、さまざまな場面で「妥協」することはあります。「妥協」するということは、その時々に自身の気持ちが軽くなるために意味のある事です。
一喜一憂して疲れてしまわないように、「妥協」で得る心の強さが心を軽くし、未来の自分を幸せにできるために今する「妥協」には意味があることなのです。
まとめ
妥協して選択していくことの意味って?
妥協とは
妥協していると感じるのは
その生活を続けていくということ
離婚という選択肢も そこにもまた「妥協」が
「妥協」してきたことを後悔し続けないように